151文字の文学

日々の事々を151文字で書くブログです。

2023-01-01から1年間の記事一覧

ラプュタ

「ラピュタ」と書くべきところを「ラプュタ」と書いてしまったことがある。 書いてしばらくは違和感があるのに、なかなか気がつかない。じっとことばを見てようやく気がつく。これじゃあ空に浮かべん。 ぼくはたまにこんな書き間違いを起こす。特に「ゃ、ゅ…

失敗作

全ての文学は失敗作であって、あとはただ、本になっているかいないか、売れているかいないか、そういった違いがあるだけだ。 結果に囚われたり、他人を妬んだり、書くのが面倒になると、ぼくはそんな風に自分に言い聞かせることがある。文学は書くか書かない…

初雪の日

天気予報通り、今年最初の雪が降った。 まだ日の昇らない薄暗い中、息を潜めるように屋根や車の上にうっすらと積もっている。地面を覆うほどではなく、そちらの方は丸裸。路面凍結の心配はないようだ。 外に出ると雪の当たる感触がある。みぞれかもしれない…

フチ

パソコン画面の周りにメモ用紙を貼ってゆく。或いは、お気にりの写真を付け加えてゆく。 気づけば、画面のフチがやたらデコレーションされたみたいになっている。パソコンのマスカラというのか、ライオンの立て髪とでも言うのか。ともかく、気が散ってしまう…

きのうから急に寒くなった。まるで季節が慌てて立冬を思い出したかのように。 きょうはついに、落ち葉や車に霜が降りていた。朝、まだ銀灰色の空の下、ざらつくように鈍く光っていた。 我が家では親父が薪ストーブを焚き始めた。白い煙が煙突からもくもくと…

本来の生と死

人間が捉えている、或いは捉えられている生と死というのは、本来の生と死の在り方のほんの一部分に過ぎないのかもしれない。 ただじっと佇んでいる木々を見ていると、たまにそんなことが頭をよぎってしまう。 虹の両端には人の目が捉えられない波長があるの…

ことばと珈琲

ことばと珈琲とには、どこか不思議なつながりがある気がする。 深みであり、時間であり、圧縮であり、雰囲気もどことなく似ている。喫茶店で、読書をしながら珈琲を飲む、そんなゆったりとした時間を過ごしているひとをよく見かけるからだろうか。 珈琲はブ…

枯れ葉

山々の紅葉は進み、落ち葉も目に見えて多くなってきた。 朝には霧が出ることもあり、霧に霞んだ紅葉や木々の葉からこぼれる光は見ていて楽しい。 こんな季節には、枯れ葉も道を彩る風物になるから不思議なものだ。車が通る度にカラカラと舞って、秋らしさを…

スラッシュ

食品表示法では、食品添加物を使う場合原材料欄に「/(スラッシュ)」などの記号で区切るルールがあるらしい。 頂き物のお菓子の袋にそんなことが書いてあって、ぼくはそんなスラッシュの役割を初めて知った。 そのお菓子では「/0(スラッシュゼロ)」と…

図書館を出ると、左手に月が浮かんでいた。おもわず足を止めてしばらく見上げていた。なんというか、本と月とが結びついて風流に浸りたくなったのだ。 暗くなるのもすっかり早くなり、寒さも日に日に増してきた。 暗い時間帯が長くなればそれだけ月は輝いて…

売切御免

10月。 自販機にもぽつぽつあたたかい飲み物が並ぶようになった。 せっかくなので、仕事帰りにバンホーテンココアでも飲もう、とおもってお金を入れた。ボタンが光った。 バンホーテンのランプには「売切」と出ていた。 昼も夜もめっきり寒くなった。東北…

星と虫

虫の音に誘われるように、段々と深みを増してゆく夜空に星がひとつ、ふたつと現れ始める。 夜空を背景に聞こえてくる虫の声を耳にしていると、自然と他の物音を忘れたまま星座の見えるその夜空を見上げてしまうものだ。そのひとときがなんとも心地良い。沈黙…

縁側

土曜日。 午後の日差しがさす縁側で親父がいびきをかいている。 洗濯物は隙間風に揺れている。 ぼくも座布団を敷いて、横になりながら日向ぼっこをする。 しばらくはいびきと風の音ばかりが聞こえる、田舎の昼下がり。 ⁂ それから3時の時報がなって、起き上…

一杯の美学

NHKの番組「美の壺」で珈琲が取り上げられていた。珈琲も美術ということらしい。 かれらは一杯の中に美を表現してゆく。 豆の選別や焙煎、淹れ方に至るまで、研究に研究を重ね、磨き、極めてはまた新たに模索する。 どんなものも美術になり得、そうしてそ…

星の配置

昨日の夜から今朝にかけては、月に寄り添うようにひとつの星が瞬いている、そういった天体の配置だった。 静かな月明かりの中で、その月と並行しながら星が回っているという光景が、どこか印象的で、眺めているだけで非常に快いというのか、すなおに美しかっ…

秋の月

最近はすっかり日の暮れるのが早くなってきた。 8月はまだ6時過ぎでも明るい気もしたけれども、9月も終わる今、帰宅の時はもうライトをつけるのが当たり前の暗さになった。 肌寒さも増してきた。日中の数時間以外、もう秋になった。 本日は中秋の名月で、…

町の音

ぼくの町では5時になると防災無線から『遠き山に日は落ちて』が流れる。 或いは新世界交響楽の第二楽章と言った方がわかるかもしれない。夕刻や帰りを告げる一種の鐘の音だ。 夏でも冬でも、この曲の流れている瞬間は風景全体にどこか懐かしさを感じてしま…

虫の声を聞きながら

虫の声を聞きながら文章を書く。 『となりのトトロ』に出てくるお父さんをおもい出す。 コロコロとしたその鳴き声に自然と気持ちが落ち着いてゆき、文章も淡々と整ってゆく気がする。 ・・・・庭の千草も 虫の音も・・・・ ふとそんな歌も口をついて出てくる…

時計

台所用に時計を掛けた。百均で買った150円の時計。 新しく秒針音が生活に加わった。 西日がカーテンを透かして、壁際のフックに掛かっている調理器具に影をつける。白い壁が薄く色づく。 誰もいない静物に満ちた空間の中で、秒針だけが唯一の生物のように…

夏の抜け殻

セミの声も聞こえなくなり、秋の虫の音に変わる頃、セミの死骸が道路に転がっているのを見つけた。 それはまるで夏の抜け殻のようにもおもえた。 律儀に仰向けで息絶えているお前にも、どこかに文学性を見出しては、うつくしさのひとつでも持たせてやりたい…

絵柄と内容

イラストや漫画を読むとき、絵柄と内容が合わないことはよくあることだ。 この絵でこの内容なら良かったのになあ、と自分の中で補正してゆくしかない。描いているひとには申し訳ないけれども、残念というかがっかりというか。 これは文体と思想とにも言える…

食後

昼食後、窓辺に椅子を運んで読書をした。 コーヒーを注いだカップには上空に茂っている枝葉が映り込んでいた。コーヒーを口にしてテーブルに置くたび、風景は波を打った。 開け放った窓からは風が途切れ途切れ吹いてきていた。部屋のものが少しばかり揺れた。…

朝雨

今朝は小雨が降っていて、風が吹くたびにその雨が波を打っていた。 それはカーテンが揺れているような、或いは透明なオーロラでも現れたかのような、おもわず見惚れてしまう光景だった。それが早朝であったのも、ぼくにとってはどこか文学的で、雨であるにも…

オス猫

つい最近、ぼくはオスの猫にも乳首があることを初めて知った。 人間の男にだってあるのだから、かんがえてみれば当たり前だった。散々猫と接しておきながら、なぜ今まで気づかなかったのか。 猫は秘密の塊だ。ほかにもまだなにか隠しているにちがいない。 一…

8月

8月は不思議だ。 始まる頃にはセミが鳴いていて、目一杯の夏らしさを感じさせていたのに、終わりの方になるとその声はもう秋の虫たちに移り変わっている。これはぼくが東北の一村に住んでいることもあるけれども、この移りゆくさまはどこか感傷的になってし…

スイカのタネ

スイカはシャリッとした食感で美味しいけれども、あのタネの多さで食べづらく、そのために好みじゃないというひとがいる。ぼくもそのひとりだ。スイカバーはタネごと食べられるというのに。 植物にとっては或る種タネこそが一番大事なのに、食べる方からした…

トマトジュース

ミニトマトとはちみつをミキサーにかけてトマトジュースを作った。 なかなかうまい。牛乳を加えてもよさそうだ。 ただ、皮をむく手間を惜しんだので、当たり前というか後味に皮が残った。うーむ、ミキサーだからこうなったのか。 次は大きなトマトを買って、…

ひとつの表現、実験として

ぼくは151という数に快さを感じている。 それはなんといっても初代ポケモンのゲーム、赤・緑をやっていたところから来ている。ぼくが小学1年生のときに販売され、勉強そっちのけでよく遊んだものだ。そのときのポケモンの数が151匹だった。 2023…